東北大学川内キャンパスには、中善並木と呼ばれる通りがある。
その名称の由来について、林屋礼二先生による説明が記されたプレートが並木の横にある。その一部を引用する。
ここから始まる桜並木を「中善並木」という。1960年の大学祭で、法学部一年の学生たちが、アカデミズムだけでなく、大勢の学生が参加して楽しめる大学祭にしようと、焼鳥屋をだす計画をたてた。しかし、焼鳥屋では知性がないとして、大学祭実行委員会は、参加を認めてくれそうになかった。やむなく、学生たちは、研究室に中川善之助法学部教授を訪ね、彼らの気持ちを訴えた。
日本の民法学の泰斗であった中川教授は、「大学生には知性が必要だが、知性だけが人間を作りあげるのではない」といわれて、このグループの責任教官、すなわち、焼鳥屋「法一亭」のおやじとなることを承諾された。この先生の登場で、焼鳥屋の出店も認められ、喜び勇んだ学生たちのなん人かは一番町の本物の焼鳥屋に弟子入りして、鳥の焼き方、タレの作り方の特訓を受けた。その効あって、大学祭当日の「法一亭」は大盛況となり、かなりの収益があがった。
この収益金の使途を話しあったとき、中川教授の定年が翌年であることを知った彼らは、青春時代の思い出を作ってくださった中川教授の退官記念とするとともに、大学キャンパスの緑化にも役立てようと、これで並木を作ることを考えた。この計画には先輩たちからも賛助金が集まり、その結果が、この桜並木となった。
以上のとおり、「中善」という名称は民法学者の中川善之助先生に由来している1。
大学祭で焼鳥屋をやる程度で知性がないというのでは、今の時代なんて知性のかけらもない学生ばっかりじゃあないかとか思うのだが、当時はそのような発想も根強かったのだろう。中川先生が助けてくれたことで焼鳥屋を開けた学生たちの感激は、大変なものだったのだと思う。
記念碑にも「若き日の友情と感激のために」と記されている。中川先生の退官後も、学生たちとの交流は続き、また、中川先生が亡くなった後も学生たちの交流は続いているようである。
歩いてみる
地下鉄の東西線が通るようになり、川内キャンパスへはとても便利に行けるようになった。キャンパス内の南北に並木が連なっている。
今年の8月は冷たい雨が続いてどうにも寒いのだが、せっかく仙台を訪ねていることであるから、並木道を往復してみた。
桜の時期ならばとても良さそうである。
思うこと
このような交流の証が東北大学の構内に今なお残っているのは、大変素晴らしいことだと思う。教員と学生の交流というのは、本来、こうあるべきなのだろう。
ところで、東北大学も、2013年にブラック企業大賞特別賞2を受賞するなんてことがあった。なかなか理想どおりに行くものではない。近年の地方の国立大は、研究も教育も何かと大変な様子である。
翻ってみて、私はどうであったろうか。法学部の先生方とは積極的に交流しようとすることもなく、どちらかといえば逃げ回っていた。優れた研究をしていても、取っつきにくい人や性格の悪い人もいないわけではない。ただ、そういう点も含めて先達の人格にじかに接することに様々な意味はあるだろうから、勿体ないことではあった。
最近はロースクールが出来たから、実務家教員も含め、教員と学生の間の交流もより密になっていると想像する。それはそれで望ましいことではある。中には、司法試験問題を漏らしてしまった人だとか、予備試験に流れる学生のことを心の貧困などと批難する人もいたらしいが、そのようなことは過渡期に生じる一部の病理的な事象であると信じたい。
以上、色々と雨の中歩きながら思った次第である。
最後に、まったく余計なお世話ながら、東北地方唯一となってしまったロースクールも含め、東北大学の益々の発展を強く願っている。
東北大学大学院法学研究科・法学部/http://www.law.tohoku.ac.jp/about/feature/ ↩
ブラック企業大賞2013/http://blackcorpaward.blogspot.jp/2013/ ↩