6月18日は京都大学の創立記念日でありますが、10年以上前の2003年の創立記念日のころ、私は概ねこんなことを書きました。
法学部はロースクールが来年度から開校するということで、それに関連して様変わりしている。
私が在学していた頃からも変化の兆しはあり、私の2つか3つ下以降の回生になると授業の出席率が激増していた。少なくとも、私の入学した1996年のころは、そういうことは入学式直後と試験前を除いてあり得なかった。
法学部生の授業の出席率が激増しているのもかわいそうな話である。時間的に拘束されるからというのもあるが、教授の説を聞いてノートを作って、学部試験ではその通り書いて、その点数を競ったりするのも不毛な感じだからである。しかし、最近の学生の場合、学部成績がロースクールの選抜の資料となって響いてくることになっているから素直に不毛とは言えない。
点の選抜(=試験)ではなくてプロセス云々とかいうのにはうんざりしている。評価権者に媚びを売って成績を上げようとかいう発想すら生じかねない。それに、同じプロセスを経ていれば、むしろ今まで以上に人材が均一化される懸念があるのも本質的に問題である。
というわけで、ロースクールの在り方に絡んで、母校の行く末がどうなるかとか、法曹の養成はうまくいくのかとか、非常に気に掛かる今日この頃である。
ロースクールの設立から10年が過ぎ、今や各地のロースクールは定員割れが続出し、次々と廃校が決まる始末です。
ロースクールに入るためだけなら、一生懸命勉強しようとはならないでしょう。むしろ、予備試験を受けるために必死で勉強しようという人なら多いかもしれません。
司法改革は、ロースクールの乱立、司法修習の貸与制化、弁護士人口の激増、などの成果が渾然一体となって、法曹界に破壊的なダメージをもたらしました。
何と言っても、ロースクールを出て弁護士になるのは、時間とお金が掛かる上に食えないリスクが高まったという意味において、経済的合理性がなくなったというのが重大な問題かと思います。
その限りで、法曹養成の入り口となるロースクールの制度設計には欠陥がありました。なお、ロースクールの教育内容については正直よく分かりませんが、聞こえてくる話を総合すると推して知るべしというところで、こちらの成果も今一つだと思います。
そんな訳で、私としては、ロースクールが法曹養成に重要な役割を果たすことは期待できないものと考えています。
しかし、唯一の望みとして、ロースクールを出た若い人たちには期待しています。
かつての懸念に反して、多様な人材が法曹界に入って来るようになったのは事実で、彼らの今後の活躍の仕方によっては社会を発展させる力になるかもしれないからです(逆の懸念もありますが…)。特に、現下の逆境の中でも敢えて弁護士になろうとする人たちには敬意を表したいと思います。