私が司法修習生だったころ(2002年4月~2003年10月)は、まだ給費制が採用されており、司法修習生には月額20万円程度の給費がありました。しかし、丁度そのころより給費制を廃止しようとする議論が出てきていたことから、当時、次のように記したことがあります。
司法修習生の給費制の廃止が財務省あたりで検討されているようだが、曰く、「国家公務員でない者に対する給費は異例」とかいうことらしい。
余計なお世話であるのもいいところで、法曹の質を維持するためという国の政策で、法曹資格取得の前提としてわざわざ1年6か月もの長期の修習を課しているのであるから、給費は当然である。異例な制度であるならば、給費制を廃止すると共に司法修習制度も廃止すべきである。
少なくとも、修習専念義務を司法修習生に課す限り、給費制は廃止するべきではない。貸与制になるならば、修習生は堂々とアルバイトをすることになるだろうし、研修所を出てからも金になる仕事しかしない弁護士が増えるであろう。
法曹人口を増やすために必要なコストを、これから法曹になろうとする若い人間たちに負担させるというのは筋違いである。国の政策で、質を維持しながら法曹人口を増加させ司法機能を強化するという話なのであるから、そのコストは国が負担するべきである。
大学卒業後もロースクールに3年間学費を払って通い、合格率が5割行くかどうかも不明な新司法試験を受け、そのあと貸与制の司法修習を1年してやっと法曹になれる、というのでは、コストもリスクも大きすぎて、とても法曹を目指す気にはならない。どうにかならないものであろうか。
給費制の廃止とその後
さて、ロースクールの導入と司法試験合格者の増加に続いて、司法修習生の給費制は2011年を最後に廃止されてしまいました。
その後どのようになってしまったのか、実情を考えてみます。
兼業許可の運用
司法修習生がアルバイトに励む状況はそれほど生じていません。就職活動が厳しすぎてそんな暇はない、というのが実情でしょう。
確かに、兼業規制は緩和されて答案添削くらいのアルバイトはできるようになりましたが、実際にやっているのは1割にも満たない程度です。極端な例としては、和光市のマクドナルドでアルバイトをしようとして司法研修所に止められた司法修習生もいるようです。
しかし、司法修習生を借金漬けにしておきながら恣意的な兼業許可の判断を行うのは、もはや筋が通らないというべきでしょう。
弁護士業界の変容
金になる仕事しかしない弁護士は増えました。但し、大変遺憾なことに、むしろ旧世代の弁護士に増えているかもしれません。
借金を返すためにとにかく働かなきゃならない若い弁護士を安く雇って、儲かる仕事を平然と選別している、といった雰囲気を感じることがあります。
あるいはハッタリめいた広告をかまして事件を集める若い弁護士は少なくないように見えます。
もうこうなってくると時代の流れだからしょうがないのかもしれないのですが、弁護士が何のための仕事なのか良く考えて欲しいという気がしてなりません。
法曹志願者の減少
そして、法曹を目指す若者は減少の一途です。その原因は、私が10年以上前に指摘した事情のとおりです。
更にいえば、弁護士人口の増加で競争が激化して就職しても稼げなくなったという事情も加わっています。借金をしてまで収益性の低い事業に参入することに経済的合理性があると判断する人は、誰もいないでしょう。
弱体化する司法
こんなデタラメな帰結は、弁護士になる前の私ですら簡単に予想できることだったというのに、一連の司法改革の流れを誰も止められなかったのが不思議でなりません。
とにかく、せめて司法修習生には生活の不安を与えることなく勉強させてやらないと、誰もこの業界に入ってこなくなります。
法曹養成の問題は弁護士業界だけに止まりません。結果的に、変な人材がすんなり裁判所とか検察庁に入れるようになってしまえば、変な判決をもらう確率や、変な逮捕や勾留をされる確率は、(今だってゼロじゃないのに)今まで以上に高まりますよ…
今の状態を放置すると、法曹三者いずれの人材構成にも致命的なダメージが生じて司法への信頼を更に損なうので、将来のある若い人たちには司法修習中の生活に困らないようにしてやってくれとか、職業人としてのスタート時に多くの借金を背負わせるようなことはしないでくれ、というのが本当に切実な願いです。
個人的な思い
私自身は既に自分で稼ぐ立場ですが、その来歴を振り返れば、学費の安い国立の高校と大学で勉強させてもらい、しかもその学費も国家公務員だった親父の給料から出してもらい、さらに司法修習中も国から給費をもらっており、自分の能力が社会で発揮できるようになるまでには実に多くの助力を国から得てきました。
そんな訳で、そうできているのかどうかは分かりませんが、少なくとも自分が受けた利益を返せる程度の社会貢献をしなければ、いや、倍返しくらいはしなきゃならんのかもなあ、なんてことを思うのです。