法律事務所の成仏戦略(1)成仏理論の分析

このウェブサイトを立ち上げてはや5か月が経ちましたが、その間の最多の検索語は「成仏理論」でした。

この一事を以って、いかに一般受けしない内容がアップロードされているかということが明らかなのですが、折角の機会ですので掘り下げて考えてみることにします。

 

元々、成仏理論というのは、高名な民事訴訟法学者である高橋宏志先生が提唱した次のような考え方でした。

 

問題の捉え方がそもそも間違っている。食べていけるかどうかを法律家が考えるというのが間違っているのである。何のために法律家を志したのか。私の知り合いの医師が言ったことがある。世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない、と。人々のお役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ、人間、まずはそれでよいのではないか。その上に、人々から感謝されることがあるのであれば、人間、喜んで成仏できるというものであろう。

 

少し荒っぽく分析しますと、成仏理論における命題は2つということになります。

 

1.法律家は食べていけるかどうか考えてはいけない

2.人間は飢え死にさえしなければよい

 

そうは言っても食っていけなきゃどうにもならんよ、という趣旨の激しい批判が弁護士業界からは巻き起こっています。あるいは「お前が言うな」的な非難もあります。

しかし、実は、この成仏理論の考え方自体は、伝統的な発想としては間違っていないようにも思われます。一応、素直に受け止めてみないと、成仏理論というだけに仏罰が当たるかもしれません。

 

そこで、まず、「法律家は食べていけるかどうか考えてはいけない」ということについて、日々の弁護士業務の中で、どのように実践していくことになるのか考えてみようと思います。

(つづく)

 

 

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