地方創生とSDGsと日弁連

内閣府の設置した「地方創生SDGs官民連携プラットフォーム」に日弁連は加入することにした、そういうことだから各地の弁護士会も加入を検討してくれ、というような総本山からのお達しがあった。

そういわれてもなあ…ということで、この件についてはどうもモヤモヤするので、思うところを書き散らしておくことにした。もちろん、真面目に各種の活動をしている人には不快に感じる内容だと思うので先にお断りしておく。しかし、波紋は承知でもあえて言っておくべきことも存在するのである。

ちなみに、その何とかプラットフォームというのは次のようなものらしいので、興味があれば参照していただきたい。

SDGsはご承知の方も多いと思うが、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称である。国連が主催する会議で2015年に決まった17の目標からなる行動計画である。それらの目標や、その下のターゲットとグローバル指標については次のものが参考になる。

地方創生!SDGs! なにそれおいしいの?

「まち・ひと・しごと創生法」という法律の第1条に「まち・ひと・しごと創生」についての定義規定が存在する(法律のタイトルも定義規定もゆるふわ過ぎてびっくりする)。いわゆる「地方創生」である。

地方創生というキーワードを付けると国の予算を分捕ってくるツールとしては有効ではあるようで、中身はともかく、地方創生の掛け声でなされる事業には色々と交付金が降ってくる。

それでうまくやってるところもあるとは思うが、一部のインチキコンサルが都会から飛んできてコンサルフィーを巻き上げた挙句に地方にはペンペン草も生えてこないとか、一方では地方の側でも自分で事業をこしらえては結局持て余している、といった雰囲気も感じないわけではない。しかも、事業に携わる労働者の扱いがひどかったりすることもある。

そんなんどこがSustainableだよ!という話である。

国のカネ頼りの施策は、カネを分捕ること自体が目的化しがちなので根本的な持続可能性に欠ける(しかもそのカネは往々にして末端に行き渡らない)。そういうことであるから、「地方創生×SDGsとかゆるふわキーワードをテキトーにコラボさせて何言ってやがる?あぁん!?」と思わず吐き捨てたくもなるのである。

透けて見える力関係

日弁連は、各弁護士会に地方創生SDGs官民連携プラットフォームへの加入を検討してくれというのであるが、その際、日本経済団体連合会や日本青年会議所も加入していますよ、というのを引き合いに出していた。

近年は巷でもSDGsのバッジを付けた人を見かける。バッジを付けて歩いているのはいいんだけれども、本当に意味分かってんだろうか。そもそもアレの17ある目標の1番目は「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる(End poverty in all its forms everywhere)」である。経団連加盟の名だたる大企業の人がきらびやかなバッジを付けて表に出て来ても、そのような大企業が成り立つ前提である資本主義体制が続く限り、SDGsには構造的に達成できない目標が多分に含まれている。

それで、バッジを付けて都会のオフィス街を颯爽と歩くビジネスマンを見ると強烈な違和感を持つのである。あたかもその姿は、調子のいいことを言って絶対負けない矛と絶対負けない盾を同時に売り歩く武器商人に重なる。

青年会議所(以下「JC」という。)の活動には多くの有力な弁護士が参加している。それは各自の自由である。JCには地方豪族企業の後継者が多いから重要な業務基盤にもなる。しかし、日弁連が、日本JCも加入してるからどうこうと引き合いに出すようでは安直過ぎる。「宇予くん」とかいう謎キャラをブチ上げて世論を煽ってた団体だからな…他にも色々あるのでウィキペディアでも参照してもらえばよいが、SDGsの各目標に通底する平等・公正という理念から最も遠い部類のところにいながら日本一のSDGs推進団体になると宣言してしまう底知れぬ楽観性には、ある種の畏敬の念を禁じ得ない。

そんなわけで、「弁護士会は経団連やJCの側の立ち位置なんすね」という見方につながったりするようなことがあると、レピュテーションの問題としては今一つであると思っている。

日弁連が何かを呼びかけるにあたっては各弁護士会での反応も予想して表現も考えると思うのだが、それでも経団連とか日本JCが引き合いに出てきたと思うと、総本山の中枢でも経済の影響は殊の外強くなっているような印象はあった。細かい話ながら、現代的な力関係が透けて見える思いがした。

胸を張ってくれ日弁連

ここからが本題である。SDGsというものには「あらゆる場所のあらゆる貧困を終わらせる」から始まって17の目標があるが、既存の弁護士の活動に関わっている目標は少なくない。しかも、16番目の目標にある「すべての人々に司法へのアクセスを提供(access to justice for all)」のようなかなり直接的な関わりのあるものが含まれてもいる。

我が国の弁護士は、他の公共セクターや営利セクターでは顧みられて来なかった目標にも既に意識を向けてきた。それは、世間の空気を読まずに先鋭的な権利擁護に努めてきたからこそ、できることでもある。

そして、法律上の規制により外部から出資を入れて弁護士業務を行うことができない以上、それらの営みはひとえに個々の会員の献身的な努力と多大な犠牲により実現されている。

そのことを日弁連は自信を持って良い。それは独自にアピールすれば結構なことだ。SDGsの流行に乗じてもよかろうが、人の褌で相撲を取るようなのも限度があろう。長期的には自分たちで地道にやっていくのが大事である。

やってる感とSDGsウオッシュ

話は戻って、そもそもこの地方創生SDGs官民連携プラットフォームというものには、近年の政府に特有の「やってる感」が大いに漂っている。実際、これも内閣府が博報堂に投げている施策であり、はっきり言って中身に乏しい。委託元は異なるが、博報堂に投げられた案件といえばプレミアムフライデーという大失策があることは記憶に新しい。

このような政府と広告会社の都合で展開される官製キャンペーンは、それを支える大衆的基盤の根っこがないので廃れるのも早い。そのうち、参加団体名が並んだウェブサイトの化石がそこらへんに転がっているのを目の当たりにするのだ。日弁連が加入を決めたとかいうこのナントカ連携プラットフォームも、一時の流行り物にお付き合いする程度のものにしかならないのであろう。

とはいえ、「みんなが言い出しててビジネスにつながるからやってみよう」という程度の巷にありがちな生ぬるい姿勢では、それはそれで、SDGsウオッシュ(SDGsをやっているふりをすること)などと揶揄されることになる。結局は見識の足りなさが露呈するに過ぎない。見識なんかよりも業務拡大というなら結構ではあるが、そんな仕事だったらもう辞めて仙人にでもなりてえな、とも心の片隅で思うのである。

最後に

SDGsが国連の関与で策定され、それを受けて国や企業や諸団体が同じように言い出すことがムーブメントとして作られつつあることで、これまで顧みられなかった社会的課題への注目も多少は集まるようにもなってきている。それ自体は悪いことではないかもしれない。

しかし、急速に進むSDGsの普及活動はそのように作られた構造であるために、どこかで上からの運動としての限界に行き当たると思う。だからこそ、流行も程々に、法律家としては目の前の依頼者の権利擁護を軸とした活動を続けることが第一義の務めだということに立ち返る必要がある。

先にも述べたように、貧困の解消、ジェンダーの平等、環境問題への対応、労働者の権利実現、格差の是正、そして先にも述べた司法アクセスの提供など、既に我が国の弁護士が取り組んできた重要な課題は少なくない。それらの営みの重さを噛み締めつつ、様々な課題に地道に取り組み続けることで人類の普遍的価値を追い求める実質こそ大切にすべきである。きらびやかなバッジをつけて歩くことだとか、やってる感を充足するための連携活動が重要なのではない。大切なのはその実質である。

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