砂川事件と裁判所

立川基地の跡地

いまさら感の漂う議論ではあるのですが、最近、ある最高裁判例の評価を巡って大きな議論が沸き起こっています。

砂川事件ですね。

砂川事件は、基地拡張に反対する運動をしていた人たちが米軍立川基地内に踏み込んだということで裁判になった、という事件でした。

ところで、立川基地の跡地は非常に広大ですが、その一角が今どうなっているかというと、こんな建物が建っています。

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東京地方裁判所立川支部です。

東京の多摩地方を管轄する支部は以前は八王子市にありましたが、現在では立川市に移転しています。支部とは思えない巨大な裁判所庁舎です。

事件現場の今

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さて、砂川事件の現場は、一審判決の判決文によると立川基地北側のフェンス付近です。

自衛隊の立川駐屯地となった現在も、そのあたりからフェンス越しに滑走路が見えますが、かつてはこの真上を飛行機がビュンビュン飛んでいたようです。今でもヘリコプターは結構飛んでいます。

駐屯地と道路を挟んで向い側に行ってみるとこんな看板があり、かつて反基地闘争が盛んだったころの雰囲気を残しています。

そんなわけで、基地が拡張されようとしていた場所は、周囲と比べると開発から取り残され、一部は今も畑地のままです。

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空き地の一部は野球場やテニスコートにもなっています。「暫定的に」というのが何ともいえない訳あり感を漂わせていますが、これは、国が基地拡張のため用地買収をしたものの拡張には至らなかったことから、公園として使っているということのようです。

立川基地の拡張はうまくいかなかったため、米軍は次第に近隣にある横田基地にシフトしていくことになりました。横田基地の近所に住んでいる私の姉に聞くと、「横田は輸送機が中心だからマシかもしれないけど、最近はオスプレイだか何だか知らないのが飛んできたりもするし、結構うるさいんだよね。」なんて話でした。米軍基地から生ずる種々の問題は、我が国の首都の住民にも、決して昔の話でもなければ、遠い話でもありません。

事件と司法権の独立

さて、砂川事件は、一審で米軍の駐留が憲法違反であるとする判決が出され、その後、高裁を飛ばして最高裁判所で審理がなされるという異例な手続をたどっていますが、当時の田中耕太郎最高裁判所長官は、審理の日程や評議の情報を米国大使にお知らせしながら手続を進めていた、との資料が最近になって発掘されています。1

そうだとすると、この判決は、司法権の独立をかなぐり捨てて対米従属に走った結果としての判断であり、いわば我が国の司法権の歴史に刻まれたメジャーリーグ級の汚点である、との評価がなされてもおかしくはないことでしょう。これでは、判例としての権威に疑義も生じかねません。

一方で、砂川事件の判例を根拠に集団的自衛権を容認するかのような議論もなされていますが、この判例の生まれた背景を観察してみれば、それが極めて脆弱な根拠に基づいた議論であるとの批判も免れ得ないことかと思われます。

不思議な因縁

冒頭に触れたように、東京地裁の立川支部は立川基地の跡地に所在していますが、思い起こしてみると、今の最高裁判所も、かつてパレスハイツと呼ばれた米軍居留地の跡地にありますし、和光市にある司法研修所も米軍キャンプの跡地にあります。奇しくも、今月には、米国の最高裁判所長官が日本の最高裁判所から招聘されて意見交換をする予定もあると聞いています。

いずれも、たまたまそういうことに過ぎない、とも思うのですが、我が国の司法権と米国には、何か不思議な因縁があるということなのかもしれません。


  1. 布川玲子・新原昭治編『砂川事件と田中最高裁長官』59頁?67頁(日本評論社、2013) 

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